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blue+greenです。
超低出生体重児で生まれた息子は今月4歳になります。
先日は3歳11ヶ月の成長記録の記事を書きました。
今日は、超低出生体重児で生まれた息子の4年間の育児を振り返ってみようと思います。
今まで、発達検査や幼稚園探し、療育探し、幼稚園入園など節目節目で記事を書き、3歳3ヶ月の頃からは、毎月、成長を感じられるようになってきたので1ヶ月に1記事、書き記すようにしてきました。
その時々で、苦悩したり、時に涙が出ることもありました。
あまりにつらかった記憶はすでに薄れつつあるものもあるのですが、0歳から4歳直前の今日まで、どんな感じで育児をしてきたのか、4年間のまとめ記事を書いてみようと思いました。
なぜ、今回そう思ったのかというと、わたしが息子を出産したとき、4ケ月も早く600g生まれ、しかも予定していた学年より一学年上がってしまった息子は、これからどんな成長をしていって、どんな困難が待ち受けているのか、先に知っておけることはなんでも知りたいと思い、超未ちゃんを育てている方の情報が欲しくて、ずっとネットで検索していたのを思い出しました。
(わたしの母も同じく、たくさん調べていろいろと助言してくれました)
同じような境遇のママやご家族に、24週0日に約600gで生まれた男の子が、今4歳になり、どんな4年間を過ごしてきたのか、この記事をサラッと読めばなんとなくわかり、もっと知りたい情報があれば、今まで書いてきたたくさんの記事をかいつまんで読んでもらえたらよいな、と思ったのです。
長文になってしまったので、気になる目次から飛んでもらえればと思います。
目次
0歳 / 突然の出産でガラッと変わった生活
息子は24週0日の朝を待って、緊急帝王切開で生まれました。
出産時のことは、こちらで詳しく書いていますが、1歳上の娘のとき同様、息子のときも妊娠経過は特に問題なく経過していたので、まさかこんなことになるとは…、青天の霹靂とはまさにこのこと、という感じでした。
母の退院後に始まったNICU通い
帝王切開だったので経膣分娩より入院期間は長いものの、あっという間にわたしは退院し、そこからNICU通いが始まりました。
わたしが救急搬送された際、23週だったこともあり、実家や自宅周辺の大学病院は全て受け入れ不可で、受け入れてくれたのは、実家からも自宅からも片道2時間弱かかる病院でした。
上の娘はこのとき1歳半だったので、わたしは入院中から、自宅周辺の保育園に片っ端から電話し、事情を説明し、退院後に始まるNICU通いのために娘の保育園入園ができないか、相談していました。
しかし、自宅周辺は子供が多い激戦区。週に1回程度の一時預かり、という形はとれても毎日預かる、ということはできない状況でした。
結局、週に1度の一時預かり、母に自宅に来てもらい娘を見ていてもらう日、パパが仕事帰りによる日、そして週末という形で毎日のNICUはできない中でスケジュールをなんとかやりくりしたのでした。
NICU通いの必需品は、小さい赤ちゃんでも着られるベビー服(洗濯するので何枚も必要)と搾乳した母乳を入れる母乳バッグ(と保冷バッグ)でした☟
5ヶ月後に退院、自宅での生活が始まる
超未ちゃんの中でも、人工呼吸器が外れるのが遅く、体重の伸びもかなり悪かった息子。
確かに、同時期にフォローしていたInstagramの超未ちゃんの中でも息子は非常にゆっくりでした(汗)
そんな息子ですが、丸5ヶ月の入院を経て、在宅酸素をおみやげに持って、自宅での生活が始まります。
(はじめの1ヶ月は実家に滞在させてもらいましたが)
余談ですが、息子の体重の伸びは本当に悪かったんです(涙)
搾乳して届けていた冷凍母乳もかなり余ってしまうほどでした。
そんな息子ですが、退院して離乳食が始まってからは素晴らしい食欲を見せ、4歳になる現在は、身長は成長曲線の真ん中ちょっと上、体重はほぼ真ん中までのになりました。
在宅酸素についてですが、元々看護師をしていたので多少の知識や慣れ(在宅酸素自体は未経験ですが)があっても、何度かトラブルもあって大変といえば大変でした。
在宅酸素についてはこちらで詳しく書いています。
0歳の1年間は突然の出産でガラッと環境が変わって、夫もわたしも、1歳半だった娘も戸惑いと大きなストレスを感じていたと思います。
ですが、小さな小さな息子が5ヶ月間、一人で入院してがんばってくれて、やっと始まった自宅での穏やかな日々にホッとし、癒された時間でもありました。
このとき、娘もまだ小さかったこともあり、外出しなくても家で楽しく過ごせた、ということが幸いして、息子が好奇の目に晒されることもなく、穏やかに過ごしていた1年だったと思います。
(在宅酸素中の通院はタクシーを利用していました)
この好奇の目、というのは、今後、息子を育てていくうえで、わたしにとって精神修行になるのです。(現在も若干続いていますが・苦笑)
- 青天の霹靂の出産
- 慣れないNICU通い
- 退院後は在宅酸素に若干振り回されつつも、穏やかな生活
- 出産、入院というイベントを除いた自宅での生活は、この4年間で一番穏やかで平和な時間だったように思う
1歳 / 徐々にわかる遅れと気になる周りの目
自宅で穏やかに過ごしていた0歳ですが、在宅酸素も卒業し、徐々に外の世界が広がっていきます。
娘が3歳になり幼稚園のプレが始まったことで、毎週、息子と娘の幼稚園に通うようになりました。
息子の発達のためにも外の世界を広げることは大切なことで、一方で、段々と息子の成長の遅れがよくわかるようになってきます。
思えば、0歳、1歳前半はみんな可愛らしい赤ちゃんなので、成長の遅れが目立ちにくいんですよね。
ですが、1歳半ば頃からはそうもいかなくなってきて、私自身も周りの目、というものが気になり始めました。(1歳半検診は行く前から緊張しましたね…)
もちろん、息子は息子のペースで成長していて、周りの目を気にしても仕方がない、ということはわかっていましたが、それでも気になるのが周りの目…。
このあたりのことに関しては、以前も今も自分のメンタルをいかに保つか、物事をどう捉えるか、という精神修行だと思っています。
1歳代でも大きな病気をすることなく経過しましたが、変化としては1歳半で眼鏡をつけ始めました。
眼鏡に関しては、いくつか記事を書いていますので、気になる方は「眼鏡」で検索してみてください。
また、生まれて初めての発達検査を受けたのが、修正1歳6ヶ月(実月齢1歳10ヶ月)のときです。
このときをきっかけに療育について検討し始め、2歳で療育を始めます。
- 0歳のときより外の世界が広がるのと同時に、発達の遅れがよりわかりやすくなる
- 人の目が気になるようになるのもこの頃から
- 眼鏡をかけるようになる
- 初めての発達検査を受ける
2歳 / 4年間で一番、変化と試練だった年
2歳になり、幼稚園プレの年となりました。
息子の発達を考えるとまだ早いだろう、と思いましたが、翌年の年少さんでの幼稚園入園を考えると、プレに入らないわけにはいかない、という状況でもありました。
住んでいる地域は子供が多い地域で、年少さんの前の1年はプレに入り、その幼稚園に入園する、逆に言うと、幼稚園によってはプレに入らないと入園できないという状況でした。
今まで幼稚園に関しても記事を書いてきているので、「幼稚園」で検索してもらえればと思いますが、ざっくりいうと、初めに入った娘の幼稚園のプレは途中で辞め、別の幼稚園のプレに通い始めました。
そこでも、息子は浮きまくっていましたが、途中で療育を始めたこともあり、その幼稚園に入園することができました。
息子は現在、幼稚園に楽しく通っており、幼稚園のおかげで本当に成長したと思っています(涙)
息子を受け入れてくれる、そして息子に合う幼稚園に出会えたことに感謝しています。
幼稚園選びは重要です。
幼稚園プレと並行して、療育(児童発達支援)にも通い始めました。
この1年で、幼稚園プレは息子は指示が入らず、プログラムに参加できず、本当に大変でしたが、療育を始めたことでわたしは心の拠り所ができました。
2歳になると、お外遊びも増えますし、お友達と接する機会が増えるので、息子の成長の遅れは1歳の頃よりさらに顕著に表れ、イヤイヤ期も1年間ずっとピーク、みたいな状態だったので、わたしにとって辛い1年だったのは間違いありませんが、今振り返ると、何もわかっていないように見えていた息子にとっても、お友達はきちんとできているのに、自分にはわけがわからない、というその状況がきっとつらかっただろうな、と思えます(涙)
4年間で一番つらかったのは、2歳の1年でした。
めったに泣かないわたしですが、幼稚園プレでの様子があまりにひどかった、ある1日は、家に帰って大号泣したのを覚えています。
今思えば、なのですが、この1年で辛くても恥ずかしくても情けなくても、意味がないんじゃないか、と思っても、とにかく動いて情報を集めて、行動を移したことで、翌年の3歳の1年で一気に実が結んだ、そんな気がしていて、すごく重要な1年だったのだと思えています。
- 発達が追い付いていないとわかった上で、幼稚園プレに入る
- 療育(児童発達支援)も始める
- 1年間ずっとイヤイヤ期(しかもずっとピーク・苦笑)
- 息子自身は他者(先生・お友達)に興味がない様子
- 4年間で一番つらかった変化と試練の1年
3歳 / 0歳のときとは違った幸せを感じる
辛かった2歳の1年を経て、ついに幼稚園に入園です。
入園時の気持ち=心配でしかない、でした(苦笑)
年中での入園もかなり検討しましたが、2人の主治医、療育の先生など息子を知る周りの人から口を揃えて「年少で入園した方が大きく成長する」と言われたことで、昨年、必死に幼稚園入園に向けて動いたこともあり、入園して、もし退園を勧められるようなことがあったら、それはそれで仕方ない、また次のステップを考えよう、そう思っていました。
ですが、幼稚園の手厚いサポート、療育の先生のサポートがあり、息子は幼稚園でのびのびと過ごすことができ、昨年1年では考えられない成長を見せてくれるようになりました(涙)
1歳のときも2歳のときも、1ヶ月ごとに成長記録を書く、ということをしてきませんでしたが、3歳になり、1ヶ月ごとにめざましい成長を見せてくれるようになったので、ブログの成長記録も1ヶ月ごとに書くようになりました。
現在も、同学年のお友達と比べれば成長は遅れていますし、友達との距離感や言葉の拙さで、知らないお友達からは怪訝そうな顔をされることもしょっちゅう、そして入園して何度かお友達に手が出てしまう、というトラブルがあったのも事実です。
ですが、昨年は全く興味がなかった他者に興味がもつようになり、幼稚園の先生の名前、お友達のママ、そしてお友達の名前もどんどん覚え、たくさん話をしてくれるようになりました。
幼稚園に通えてよかった、この一言しかありません。
- 幼稚園に入園。登園を嫌がることなく、毎日楽しそうに通っている
- 先生・お友達の名前をどんどん覚えるように
- 今までで一番成長している、と感じている
- 幸せだ、と感じられた1年
ということで今までのまとめでなんとなく伝わるかと思いますが、大変だった順に並べると、
- 2歳(ダントツ1位)
- 1歳
- 0歳、3歳
となります。
4歳の誕生日プレゼント
今年は自分が4歳になる、ということをしっかり自覚して、食べたいものやプレゼントもリクエストできるようになりました。
両家の両親、そして私たち夫婦からのプレゼントを紹介します。
ケッターサイクル / People
キックバイクにも自転車にもなるケッターサイクルは14インチをプレゼントしてもらいました。
ケッターサイクルについてはこちらで書いています。
組み立ておもちゃ
わたしたドライバーを使うと隣で真似しているので、組み立ておもちゃをプレゼントすることにしました。
まだまだ不器用な息子なので、これで遊んで手先を鍛えてほしいです(笑)
【追記】
ピース数の多いタイプを購入したので、1歳上の娘とケンカしつつも仲良く遊んでいます。
電動ドリルが1つなので、2つ付いていたり、追加購入できればベストなのですが、電動ドリルは息子優先、という形で遊んでいます。
息子はまだ娘のように自由自在には遊べませんが、電動ドリルの逆回転の仕組みもなんとなくわかったのか、黙々と遊んでいる時間があって、こちらをプレゼントしてよかった、と思っています☺
一人で遊ぶのがメインであれば、こちらのタイプでもよいかもしれません。
シュライヒの恐竜
息子はプラレールが大好きでたくさんの電車を持っていますが、わたしとしてはもう十分でしょう、という車両コレクションなので、今回の誕生日はプラレールはNGにしました。
すると、息子がリクエストしたのは恐竜のおもちゃで、実物を見て選んだのが、アンキロサウルスとドラコレックスでした。
ティラノサウルスがいいと言っていたのに、実物を見たら選ばなかったな(笑)
鉄道 / 小学館の図鑑NEO
大好きな電車がたくさん載っている図鑑はわたしがリクエストして妹が贈ってくれました。
図鑑はすでに何冊か持っていますが、この鉄道の図鑑が特にお気に入りで、DVDも最初から最後まで見たがるほどお気に入りです。(一気に全部は見せませんが、全部見ると85分!)
4年間の育児を振り返って、改めてあの時はつらかったな、と思う一方、今があるのはあのときがあったからで、今までたくさんの人に支えてもらったことを改めて感じました。
(ばーっと一気に書いたので、後から加筆修正するかもしれませんが…)
随分と長文になってしまいましたが、、お読みいただきありがとうございました。